尼崎海岸地区
「友、遠方より来る!」、「妻が帰りが遅くなる」と言って友人との会食に出発。それではと朝から撮影に出かけようと準備、赤穂方面の海岸にて撮影を計画。着替えを完了して上着に入れてある携帯を確認。すると4年前にお世話になったあの女性職人さんからメール。「今日我がマンションの修理に来る」と、撮影は取りやめて待つ。30分で仕事が完了、兄貴分の職人さんとお二人、我が家にてコーヒーのおもてなし。兄貴分も一眼レフカメラを購入したというので、一度3人で撮影に行く約束をした。別の現場の作業が終わるとまた当マンションに戻ると言うので、近場で撮影をすることにした。隣街の尼崎は昭和50年代公害の町として全国に名を発した街。その変わりようを撮影に出かける。公害の元になる工場はほとんど移転して面影はほとんどない。液晶パネルや砂の出荷場、埋め立てられた場所には公園が造られた。その公園には「茅葺民家」も造っている最中。公園では母子も楽しく遊んでいた。尼崎の埋め立ての一部は海抜ゼロメートル地帯、そこに工場や港があるので「尼崎ロック」という名の閘門がある。船の通過の度に水の水位を調整して海に出て行く、スエズ運河と同じ方式。そんな風景を撮影できた。ちなみに撮影途中で携帯メールに「急遽別の場所へ行くことになった」と連絡あり、その後の再会は別の機会になった。